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母と祖母 母親自身について 母親との関係[11]

私が実家に戻った理由は金銭面で色々あったことも大きな理由です。
長くなるので、それについて書くことは省きます。

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とにかく実家で過ごすようになり、
母と毎日顔を合わす生活になりました。

母が過去にいかに私を傷つけたか理解して欲しくて、
話し合いをしたものの、
人間の性格というのは簡単には変わりません。

 
「いいねえ、あんたは毎日何もしないでご飯が食べれて」とか、
「お母さんがいなかったら、あんたはこの先どうなっちゃうんだろうねえ」

と、まるで私が一人暮らしなどしていなかったかのようなセリフを吐きます。
「何もしないで」とか言いながら、
昔から子供に家事の手伝いをさせるようなことはしませんでした。

 
私が仕事を頑張ってしまうのと同じで、母はずっと専業主婦なので、
自分の仕事は家事をすることであり、
それが存在意義になっていたと思います。

自分のおかげで家族が生活できている、
という自負が強いのです。

私も母も、親に肯定されずに育っているので、誰かに認めてもらいたい、
という思いが非常に強いのだと思います。

母の場合は、家事一切をする自分を子供に認めてもらいたいのか、
「お母さんがいなかったら、あんたは何もできない」
というセリフを口癖のように言っていました。

私は30歳になって実家にいるという後ろめたさもあり、
そういうセリフは極力無視するようにしていました。

母と祖母の関係について

その頃私はちょくちょく、探るように、
母と母親(私の祖母)はどういう関係だったかを聞いてみることがありました。

祖母はとても厳しい人で、子供の反抗を許さなかったそうです。
母は、20代半ばまで実家の家業を手伝っていたそうですが、
家に居るのが嫌になり上京し、
数年働いた後に父と出会い結婚しました。

あまり細かいことは語ろうとしませんが、
母親(祖母)に力で抑えつけられ、自分が出せなかったようです。

 
祖母は亡くなる前の数年間は私達家族と同居していました。
私が20代前半くらいの頃だったと思います。

親戚の家をたらい回しにされて、
最後はうちに来たという感じでした。

その頃の印象では、
母と祖母が微妙な関係であることは感じていました。

祖母が外に出ず、部屋にこもっているので、母が、
「散歩にでも行けばいいのに」という言い方は、
私に「あんたは家にばかり居る」と言ってた言い方と同じでした。

祖母はそれについて何も答えず、無視していました。
何となく祖母のイラつきを感じていました。

私は祖母と気軽に話すことができませんでした。
子供の頃はそんなことはなかったのですが、
思春期を過ぎると、
祖母はとてもとっつきにくい感じがして話せなくなっていました。new_2750084693_01808764d5_m_thumb

後から考えると祖母は母の世話になっていることが、
耐えられなかったのかもしれません。
祖母の不充足な感情は伝わっていました。

また母にしてみれば、今は自分が優位に立っている、
という感じだったのではないかと思います。

子供の前では普通でしたが、
台所から母と祖母が口論しているような声が聞こえてくることもありました。

祖母の最期 

私が祖母と最後に会ったのは、祖母が倒れて入院した先の病室でした。
お見舞いに行き、帰ろうとする私の手を祖母はしがみつくように強く握りました。
私は驚いて何も言えず、祖母をじっと見つめました。

祖母は最後、孤独だったのです。
私は最後に見つめた祖母の顔が忘れられません。

必死に私を頼るような表情は、
誰かにすがりたいような思いだったように見えました。

母と祖母は、生涯お互い良好な関係を築くことは出来なかったようです。

 
私は母に対して、子供に対して欠点を指摘するのではなく、
もっと褒めたらどうなのか、と文句を言ったことがあります。

すると母は、私だって母親から褒めてもらったことないのに、
できるわけがないでしょ、と言いました。

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