スポンサーリンク

母親が憎い!母親との対決 第2ラウンド 母親との関係[13]

最初に母との話し合いの場を設けてから、2、3年後くらいに、
私は再度、母に謝ってもらおうと考え、話し合いをしたことがあります。

この時は実家で同居していましたが、
1度目の話し合いで母自身も少しは考えたようで、
以前のように偏見に満ちたような言動は大分少なくなってはいました。

スポンサーリンク

私もなるべく母に文句を言わないように気をつけていたつもりです。

それでも度々母は話し合いがあったことを忘れたかのように、
私を傷つけたり、怒らせるような言動がありました。

そのようなとき、私は大抵無視していましたが、
たまにガマンできず、言い合いをすることはありました。

 
胃の不調が治らず、
イライラしていたのかもしれません。

私も母に対して全く思いやりがありませんでした。
胃がおかしくなると、「お粥を作ってくれ」と、
自分でやらず母に頼みます。

母は、またか面倒臭い、という感じで、
「いつになったら治るの?」
とぶつぶつ文句を言いながらお粥を作ります。

私は自分でやらないことを棚に上げて、
母がぶつぶつ言うことに腹を立てていました。

 
少しずつその鬱憤(うっぷん)が溜まってきていた私は、
もう一度きちんと過去を説明して話し合い、
今度こそ謝ってもらいたいと考えるようになりました。

母の反撃

2度目の話し合いはどの位の時間話していたのか、
全く覚えていませんが、
とにかくこの時は、母の怒りが爆発しました。

すごいエネルギーでヒステリックになり、
「親に向かって偉そうなこと言うな」
「もう聞きたくない」
と、取り付く島もありません。

謝罪されるどころか猛烈な反撃にあい、
私は、もうこの人には何を言っても無駄だと思い、
諦めざるを得ませんでした。

 
それ以来私は完全に母に対して心を閉ざしました。

母との会話はほぼ用件だけでした。

私は家にお金を入れたり入れなかったりで、
家事もやらず、
いい年して家に居ることの後ろめたさがあります。

母は相変わらず、
「あんた色々言うけど、お母さんいなくなったら、どうなると思ってんの」
などど言います。

私は無視しますが、猛烈に腹が立ちました。dark-skull-6781279727731mQ0o_thumb

母の顔を思い切りぶん殴って、
近くの高架橋から飛び降りて自殺すれば、
母は残りの人生を懺悔と後悔で暮らすだろう、
などと妄想したりもしました。

言っても分からない以上、自殺すれば、
私がどれだけ悩んでいたか、
身に染みて分かるだろう、と考えました。

 
しかし、実際それを実行する気にはなれませんでした。
自分が死んでも結局すべてが無になるだけで、
その後の母を見ることはできないのです。

スポンサーリンク

次の記事⇒自己肯定感が低い 高めることが出来ない原因
次の関連記事⇒原初(プライマルスクリーム)療法による母親との対決 母親との関係[14]


↓応援よろしくお願いします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ