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怒りの火種と連鎖 「叱る」と「怒る」の違い 父親との関係[3]

幼少の頃、父から理不尽な怒りをぶつけられ、
それが大きな恐怖心として残っていましたが、
ぶつけられた怒りは、自分の中にも火種として残っていました。

私は理不尽な怒りに対して、強く反応してしまいます。

道を歩いていて、むやみにクラクションなどを鳴らされると、
運転手を引きずりだして、
殴りつけたくなる衝動によく駆られていました。

公衆トイレで並んでいて順番を抜かされた時、
その小便している男を、
後ろから蹴飛ばしたい衝動を抑えるのに必死でした。

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幸いそれを阻止する理性はあったので、
未だに犯罪者にならずに済んでいます。

そしてそういう対象は必ず男性に対してであり、
女性にはいくら怒りを感じても、
殴りたいという衝動に駆られることはありません。

父には怒りにまかせて掃除機の棒で叩かれたことがありますが、
母から殴られたことは一度もないからかもしれません。

 
ヤンキーや不良と呼ばれる人達が、ガンを飛ばしたとか、
肩がぶつかったなどと理由をつけて喧嘩したがるのは、
自分の中にある怒りの火種を、
発散したいことが大きな理由だと思われます。
(もちろんすべてのヤンキーがこうだというわけではありません)fist_thumb

彼らもきっと幼少の頃、親や目上の人から、
理不尽な怒りをぶつけられたのではないかと推測できます。

普通肩がぶつかったぐらいなら、すいません、
と一言謝られれば、怒りはすぐに収まります。

しかし自分の中に怒りの火種を持っている人は、
肩がぶつかった怒りを自分の火種に着火して、
必要以上の大きな怒りを発散しようとします。

普通なら10の怒りで済むものを、
20、30にして返してしまうのです。

電車の中で、老人に席を譲らないことを注意された若者が、
注意した人をボコボコに殴ってしまうような暴力事件も珍しくありません。

怒りを伴わない(ともなわない)愛のムチ 「叱る」と「怒る」の違い

怒りを伴わない純粋な愛のムチであれば、
いくら殴られてもそれが怒りの火種になることは無いと思います。

 
小学生の頃、私は廊下で友達とボール遊びをして、
先生にビンタされたことがあります。

それは完全に規則違反した私が悪く、
普段おとなしい私を皆と同じようにビンタしてくれた先生には、
むしろ叩いてくれて嬉しいと感じたくらいです。

そこに怒りの感情は一切ありませんでした。
先生が心を鬼にして私をビンタした気持ちが凄く伝わっていました。

これが「叱る」ということで、「怒る」とは違います。

怒りの火種は連鎖して受け継がれる

ではなぜ父は怒りの火種を抱えていたのでしょうか。
私は父にそれとなく両親との関係について聞いたことがあります。

父も父親(私の祖父。私が生まれたときにはすでに他界しています)
から理不尽な怒りをぶつけられていたようです。

父は、祖父に対して自分の意見が聞き入れられず、
強く怒鳴られたエピソードをちらっと語ったことがありました。

それを語ったときも、子供に言う話ではないと感じたのか、
すぐに黙ってしまったので、細かいことはよく分かりません。

ただ、確実に怒りは連鎖して受け継がれていると私は感じました。

 
怒りをぶつけられた子供は、どこかに怒りを発散したくなり、
けなされたり毒を吐かれた子供は、
人に対して毒舌になる傾向があると思います。

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