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村上春樹、河合隼雄 無意識を掘る意義 箱庭療法とオウム真理教について

久しぶりに「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
を読み直してみました。

この本は村上さんが「ねじまき鳥クロニクル」を発表した直後で、
それについて語ることが目的でセッティングされた対談を本にしたものです。

河合隼雄さんは日本におけるユング派の第一人者として、
日本人にユング心理学を伝えた人といってよいでしょう。

本当は「ねじまき鳥クロニクル」ももう一度読んだほうがよいのですが、
ちょっと時間が取れません。

それどころか、まだ「1Q84」も読んでないので、
いい加減そろそろ読みたいとは思っています。

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村上作品について

村上春樹を読みたくなる精神状態というのがあって、
私の場合は人生が閉塞的になっていると感じた状態のときに、
とても読みたくなります。

たとえば、会社で当分仕事は安定しているけど、
取り立ててイベントなどもなく、
単調な日常の繰り返しになっているときなどです。

最後に読んだ「アフターダーク」が刊行されたのが2004年ですから、
最近はあまりそういう精神状態になっていないということです。

リアルタイムで読んでいたわけではありませんが、
「羊をめぐる冒険」から「国境の南、太陽の西」までは、
2、3回ずつくらい読んでいるので、
以前はかなり閉塞的な状態にあったとも言えます。

 
ポジティブな状態のときや、
何かに熱中しているときにはとても読む気分になれないので、
私にとっての村上作品は、
落ち込んでいるときの癒し、という意味合いが強いかもしれません。

「ねじまき鳥クロニクル」について

「国境の南、太陽の西」の次の長編小説として
「ねじまき鳥クロニクル」が発表されます。

この小説までは、
リアルタイムでなく村上作品の過去の作品を読むという形でした。

この小説をもう一度読むとなると、
あの「皮剥ぎ」のシーンをもう一度読まなくてはならない、
というしんどさを感じます。

読んでない人には何のことか分からないと思いますが、
私は村上さんの心の奥底にある痛みの一つの象徴として、
「皮剥ぎ」があると思っています。
そしてもう一度それを体感する気にどうしてもなれません。

とにかく、「ねじまき鳥クロニクル」は、
3部作というそれまでになかった長編であり、
村上さんによると、それまでの作品がデタッチメント
(人と関わらない)ということがテーマだったのに対して、
この作品でコミットメント(人との関わり)がテーマになっていると言います。

ターニングポイントとなる作品を書き上げ、
そこで河合さんとの対談となったわけです。

無意識の象徴としての「井戸」

この作品の象徴的なシーンとして井戸を降りて行く、
ということがあります。

村上さんは、

「井戸」を掘って掘って掘っていくと、
そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、
というコミットメントのありように、
ぼくは非常に惹かれたのだと思う。

と対談の中で述べています。

これはまさに集合的無意識について言っていますが、
河合さんは特にそれについて言及しません。

村上さんはおそらくユングのその概念について知らないで、
発言していたようです。

アンチ村上春樹の意見

この作品に限らず、村上さんは、
ずっと井戸を掘って作品にするということを、やっていたと思います。

その汲み上げ方の上手さが、
これだけ沢山の人に本が読まれている理由ではないでしょうか。

しかし集合的無意識という井戸からの汲み上げに際しては、
当然村上さん個人の無意識を通過するので、
作品には賛否両論が生じます。

以前読んだ、女性小説家の山田詠美さんと村上龍さんの対談の中で、
山田さんは村上春樹さんの作品にかなり批判的でした。

無口で小説ばかり読んでるような男がバーで飲んでいる所に、
いい女が近づいてきて、意気投合し、
あっという間に関係を持ってしまう、
そんなことはあり得ない、
というニュアンスのことを山田さんは言っていたと思います。

いかにも肉食系女子という感じの山田さんですから、
村上作品に登場する主人公の草食系男子(と私は感じる)が、
次々と女性と関係を持ってしまうことに違和感を感じるようです。

この意見は山田さんに限らず、多くのアンチの人が思うことのようです。
そしてそれについては私も否定しません。

「そんなことあるかよ」と思いながら読むこともあります。
ただ怒りを感じるほどではないですが。

ちなみにそれを言われた村上龍さんは困惑していた感じでした。

たしかに山田さんからすれば村上龍さんは同じ肉食系の人、
という感じで親近感を感じるのだと思いますが、村上龍さんは、
ライバル的な同士という感じで仲の良い春樹さんを貶すことはできず、
板挟みだったと思います。

箱庭療法について

河合さんとの対談に話を戻します。

当時発生直後だった阪神大震災について話が及び、
河合さんがPTSDについて語ります。

そして箱庭療法の話になるのですが、
まずこの治療法は、
患者がミニチュアの家や木などを自由に並べて箱庭を作る、
というものです。

心理療法家(セラピスト、カウンセラー)はそれを見守り、
完成した箱庭について患者と話をしながら、
心を探っていくというものです。

イメージの世界である箱庭は、非言語的な治療法で、
日本人に合っていると河合さんは述べています。

面白いのはこれをアメリカ人にやらせると、
この石が父親を表し、この木は母親です、
などと自分で作ったものを説明してしまうことがあるそうです。

これでは、意味がありません。miniatures-2_thumb

内面から湧きあがってきたイメージで庭を作ることにより、
無意識を探る手掛かりとなるものなのに、
自分で説明できてしまっては、
それは顕在(けんざい)意識で作ったものということです。

箱庭に限らず、イメージを手掛かりに内面を探るには、
自由に絵を描いてもらうということも同じ意味があります。

よく少年犯罪などで、犯人に描かせると、
とんでもなく恐ろしい絵が出来あがることがあります。

私の場合は最終的に母親との問題は、
原初療法という非常に言語的な治療で解決に至りました。

言語的なアプローチか非言語的なものか、
どちらが自分に向いているかは人それぞれです。

箱庭療法の説明を読んで、
自分が作ったものを誰かに分析して欲しいと思ったならば、
イメージによる治療法が合っている可能性が高いです。

私もかつて自分の絵を見てもらったことがあります。

原初療法のメールカウンセリングが終わった後でしたが、
私が何にも考えずに描いた絵は非常に平和的で、
自分でも、もう過去を探る必要はないなと思えました。

オウム真理教について

この対談の中で村上さんは、ノンフィクションを書く構想があることを、
河合さんに語っています。

この構想は、オウム真理教が起こした事件の被害者へのインタビュー、
という形で「アンダーグランド」という本になり実現されますが、
この時点でオウム真理教について書くとは語っていません。

人との関わり、というテーマで「ねじまき鳥クロニクル」を完成させた後、
今度は実際にインタビューを行うことで人と関わっていくことになります。

村上さんはオウム真理教に関わっていくことを、
この対談の中で河合さんには明かしません。

それとは別に、浅原彰晃について、
このような人は治癒される可能性はあるか、
と河合さんに質問しています。

それに対して河合さんは、
このような宗教家と心理療法家が対峙した場合、
結局は器の大きいほうが勝つと語っています。

精神科医ならば、麻原のような人には、
何とか薬を飲ませて解決しようとするかもしれない、
とも語っています。

なぜ村上さんは「アンダーグランド」を書いたのか

この作品は完全なノンフィクションで、
村上さんはただひたすらインタビューを行い、
それを文字に起こして活字にしました。

村上さんの主観的な意見は一切なかったと思います。

オウム事件の被害者ということで、
インタビューを受ける人に一貫性はありません。

地下鉄サリン事件の被害者の方達は、
ただそこに居合せてしまったという偶然により被害者になった人達です。

村上作品を読んできた人にとっては、
なぜこれを村上春樹が書く必要があるのかと、
誰もが疑問を持ったと思います。

対談の中で村上さんは、自分の小説には、
両親や子供は登場しないと語っていますが、
なぜ登場しないかについてははっきりとは述べていません。

エッセイ等でも両親について語ることはありませんでした。

オウム真理教は、浅原彰晃という教祖に惹きつけられて、
沢山の人が入信しています。

その大半の人が父親との問題を抱えているとも言われています。

極端な例では、お金持ちの家に生まれ、高い学歴を持ち、
車も持っていて、彼女もいる、というような人が、
生きる意味が分からず、入信していたりしました。

アダルトチルドレンと言われる人達が、
癒しを求めてこの教えに導かれたとも言われています。

村上さんがオウムに惹きつけられたのも、
自身の父親との関係に問題があるのではないかと、
ネット等で推測されていました。

その真偽については分かりませんが、人との関わりを避け、
閉じた世界で自分の傷を癒すために小説を書いている、
ということは対談からも感じられます。

会社に勤める気がせず、自分で店を出し、
29歳で突然小説を書こうと思ったそうですが、
デビュー後も文壇との関わりを避け、
アメリカに渡ってしまいます。

最初の意欲的な人との関わりも、
傷を負った人達へのインタビューという形でした。

さらにアンダーグラウンド2である、「約束された場所で」では、
オウム真理教に入信した人達へのインタビューという形で、
加害者側の内部に飛び込んでいます。
こちらでは、村上さん自身の疑問や意見も入っていました。

村上さんの姿勢は、社会問題をえぐろうとするルポライター的なものではなく、
オウムの構造に何かしら心の傷が共鳴していた、
と考えたほうが自然なような気がします。

そして私のように村上作品に惹かれる人達も、
そこに心の傷の共鳴があるような気がしてなりません。

最後に

対談の後書きで河合さんは、
生来人見知りの自分が、村上さんに対しては、
ずっと喋り続けていたような状態だったと語っています。

「馬が合う」とも書いているので、相性がいいのでしょう。

フロイト派の人に感じるメスで傷をえぐり出そうとするような分析と違って、
河合さんは静かにそっと近いづいていくような分析態度であることを感じます。

村上さんは頑なに親との関係を語ることを封印していますが、
そういう人にはやっぱり河合さんのような人が合うだろうな、
と改めて思いました。

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