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なぜ私は存在しているのか?人間であることの意味を考える

前回、私たちは「すべて一つ」である、ということについて書きました。

鏡の法則」も似たような考え方だと思いますが、
かつて地球そのものが生命体である、という「ガイア理論」という説が唱えられたように
科学の世界でも、「個」がそれぞれ生存競争するだけの世界ではなく、
全体で共存していると考えたくなるのは自然なことかもしれません。

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人間は害虫だと思っていた

しかし全体で共存しているという割には人間はずいぶん自分勝手ではないか、
と考える人も多いと思います。

私も20代の頃は、地球にとって人間は害虫のような存在だと思っていました。
人間さえいなければ、他のすべての生命は生態系を破壊されることなく暮らせるし、
修復が難しい自然破壊や汚染が起こることもないでしょう。

それなのに人間は生態系の頂点にいて、自分達を最も優れた存在として考えている
(ようにみえた)ことについて納得がいきませんでした。

 
人間こそがエゴの塊であり、口ではきれいごとばかり言うが、
やっていることはむやみに戦争をしたり、動物を殺して毛皮で物を作ったり、
利益の為に森林を破壊するなど、地球にとってみれば最も迷惑な存在に思えました。

岸田秀さんの本を読んで、「人間は本能の壊れた動物」である、
と定義したことにも全面的に同意していました。

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 人間だけが持つ幸・不幸の概念

それが段々そうではないのではないか、と考えるようになったのは、
「神」や「魂」という概念を考えるようになったからです。

私は自分を精神的に障害のある人間だと思っていたので、
自分が何の為にこの世にいるのか、という存在意義について考えずにはいられませんでした。

色々本などを読んでいるうちに、人間は本能が壊れているわけではなく、
わざわざこのように作られている、と思うようになりました。

 
最大のヒントは、人間は言語を持つ、という点にあると思います。
人間に顕在意識と潜在意識という2つの意識があるのも言語があるからに他なりません。

顕在意識は言語の世界です。
言語によって人間は他の動物が考えない、幸せとは何か、
というような幸・不幸の概念を作りだします。

考えた挙句に自殺するような人もいます。
これは他の動物にはあり得ません。

 
動物ならどんなにお腹が空いても、食べることを諦めたりしません。
体が動かなくなるまで、食べ物を求めて行動し続けます。

ところが人間は自身の哲学や思想に基づいて、
「即身仏」(自ら絶食して命を断ち、ミイラになる)
になってしまうような人もいます。
 
生きることを自ら止めてしまうことは動物にはあり得ません。
(厳密にいうと人間からの影響を受けていない限りですが)
人間は本能が壊れている、と言われてしまっても不思議ではありません。
 
 
動物には幸・不幸の概念は無く、基本的に快・不快の感覚に基づいて行動します。
絶えず不快を避けて快を求めて生きています。

人間も快・不快で行動を大きく左右されるものの、
それ以上に言語で作り上げた自らの思想や価値観を重視します。

人間の存在意義とは?人生とは何か?私の出した結論と「運命」

人生とは何か、という問いに対して私が出した結論を最初に言ってしまうと、
人生とは体験である」ということになります。

 
私達がなぜ人間として生まれたか、ということは地球という舞台で、
その人固有の体験をする為だと思います。

そしてその体験に優劣はありません。
一部の人間は勝ち組、負け組のような優劣を考えますが、
それはその人の価値観でありすべての人には当てはまりません。

前途した即身仏になることも一つの体験です。
人を勝ち組と負け組に分けて、喜んだり嘆いたりすることも体験であり、
そうしたい人はそうするし、そこから解放されたい人は別の価値観を持つことは自由です。

 
人間は遺伝子の生存競争の為に生きているわけではなく、
固有の体験をする為に生まれた存在であり、
その固有の体験が「運命」という言葉で語られるのだと思います。
 
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