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引きこもりたい、という衝動。「引きこもり」も一つの体験

人生の本質は、「体験」であると前回書きました。

この「体験」は、色々なことにチャレンジしよう、
という意味も勿論ありますが、もっと重要なことは、
「引きこもり」のように一見何もしてないような行動も、
人生においては重要な意味を持つ体験であるということです。

 
引きこもってしまう人のことを考えてみると、そこには「引きこもりたい」
という衝動と、それを許される環境があることが条件としてあります。

この2つの条件が揃っているなら、運命は引きこもることを許可した、
と私は考えます。

そしてその人は引きこもることでしか味わえない感情や、
心の動き、家族関係などを体験するわけです。

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人によっては若いうちに引きこもって50歳を過ぎても働かず家に居るような人もいます。
引きこもれる環境があって本人がそれを選択しているわけだから、
私からすればヒマラヤの奥地で瞑想する人生と大差無いように思えます。

 
それはともかく、自分の意志は「何もしたくない」「ずっと部屋にいたい」と思っても、
親が死んでしまえば、大抵出て行かざるを得ないことになります。

また親が怒って強制的に更生する為の施設に入れられてしまう、
なんてこともあるかもしれません。

こういう事が起こればそれは運命が「引きこもり」はもうおしまい、
さあ次の体験をしなさい、と言っていると私は思います。

要は一見無意味に思える行動や、後悔するような経験も、
運命という観点から見れば必要なことであったと言えるのではないでしょうか。
 
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運命と共時性

この「運命」と以前書いた共時性には大きな関係があります。
自分が何をすべきか悩んだときに、周囲に注意を向けることで、
そのヒントが思わぬところに転がっていたりします。

街を歩いているときや電車に乗っているとき、
心をニュートラルな状態にしていると、
ふと目にした広告で「そうだあの仕事をやってみよう」と閃いたり、
「あのスクールに通ってみよう」「あのジムに行ってみよう」
と新しい方向性が示される、などということがあります。

こういう風に閃いたことを実行すると、
後からあれをやっていて良かったと思うことが多いような気がします。

 
同じように引きこもってインターネットを見ているうちに、
誰かと出会ったり、自分の新しい方向を示すサイトを見つける可能性もあります。

「体験」というと、海外に行くとか、新しい勉強を始めるとか、ダイエットをするとか、
特別なことをすることを指しているように思ってしまいがちですが、
運命という観点から見た体験は、病気で1日中寝ていることも一つの体験です。

結局生きているということそれ自体が重要な体験をしているということですね。
 
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