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幼少期の母と私 幼稚園が嫌い 母親との関係[4]

私は両親にとって第一子であり、
私はいわゆる「お母さん子」でした。

父は仕事や自分の社会活動で忙しく、
幼少の頃の思い出があまりありません。

自分の母に対する一番古い記憶は、昼寝をしていたら、
横に添い寝をしてくれていたはずの母が居なくて寂しかった、
というものです。これは2歳か3歳の頃の記憶です。

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この当時は父方の家族と同居していましたが、
母は姑(私から見た父方の祖母)と暮らすことが苦痛だったようです。
(後に度々祖母に関する愚痴を言っていました)

同居生活では、推測ですが、
祖母や父の兄弟に過剰に気を遣って、
おそらくビクビクしながら暮らしていたのではないかと思います。

 
この頃の記憶はほとんど無いのですが、
「おまえは人を見ると電柱の陰に隠れる子供だった」
と後に(私が小学生くらいの頃)母は私によく言っていました。

その言葉には、困った子だよ、
というニュアスが多分に含まれていました。

私は、初めて会う人にはなかなか懐かず、
可愛げのない子供だったようです。

 
私が4歳の頃に、両親は一軒家を購入し、
弟も含めた家族4人で引越します。

生い立ちには書きませんでしたが、
この頃母は妊娠しており、引越し後、妹も生まれます。

引越しは、母にとっては念願が叶ったものだったでしょう。
しかし私にとって辛い記憶はここから始まります。450375472_f2c12ddf9b_m[3]

私は幼稚園に通うようになりましたが、行くのが嫌で、
途中で引き返して家に帰ったことが何度かあります。

そんな時、母はドアに鍵をかけ私を家に入れませんでした。

私が泣いて開けてくれるよう頼むと、
チェーンを掛けたドアから鬼のような形相で、
「幼稚園に行きなさい」と私に言うのでした。

私は泣きじゃくって家に入れてくれるよう頼み、
根負けした母が鍵を開けるということが、
記憶として2回あったことを覚えています。

脳裏に強烈に焼き付いているのは鬼のような母の表情です。

 
母のこの鬼のような表情は、その後他の場面でも度々目にすることになります。
その顔から私は母の嫌悪感をうっすらと感じていました。

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