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友達がいないことは恥ずかしいこと 母親との関係[7]

中学生から高校生頃だと思いますが、
私は学校が嫌いだったので朝はいつも不機嫌でした。

朝食を食べるとき仏頂面(ぶっちょうづら)で2階から降りてくる私を見て、母は、
「何、その死んだような目つきは」
「生きている化石だね」(言葉の使い方が間違っていますが、母流の表現です)
とよく言っていました。

私はこれを言われると何も言いたくなくなり、ますます不機嫌になるのでした。

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20歳前後だったと思いますが、
何かの話題から私の結婚について話が及び、(もしもの話です)
「あんたは友達がいないから、結婚しても式には誰も来ないだろうね、
そんな結婚式には恥ずかしくて出席したくない」
と、言われました。

その時、母の顔は例の鬼のような顔で、嫌悪感に満ちた表情をしていました。

私は何も言い返せず、頭の中が張り裂けそうな感情で一杯になり、
無言で自分の部屋に戻りました。

母の言うことは事実で、本当にそうなのかもしれませんでした。

自分に友達がいれば、母をあんなに嫌な気分にさせることはない、
という思いと、どうしようもない無力感で一杯でした。 new_2034496163_3e83a0d145_mまた私は母に色々文句を言っていましたが、
こういう核心を突く話になることを最も恐れていました。

なんだかんだ言っても私はろくに人と喋れないダメな人であり、
それを母が直接言わないことは、
せめてもの優しさなのだ、という風に考えていたからです。

そして何かの拍子に、ついに我慢ができなくなって母が本音を言った、
そういう風に捉えていました。

だからこの張り裂けそうな感情は、母に対しての怒りではなく、
どこにもやり場のない怒り、または、
自分自身にしか向けることのできない怒りでもあり、どうしようもないものでした。

 
後から考えると、母は、
人とのコミュニケーションがうまく取れないことを、
最も恥ずかしいと思っていたようです。

そしてそれは母自身のコンプレックスだったのですが、
それを無いものにしようと必死だったのです。

 
子供の視点から母親を客観的に見るというのはとても難しいことだと思います。
私は結局、「ものぐさ精神分析」を読むまで、
場面緘黙(かんもく)症、視線恐怖症になった原因を突然知る参照)
母がどういう性格の人なのか、などと考えたことはありませんでした。

母は普通に家事や子供達の育児の一切をこなし、
子供が病気になれば病院に連れて行き、夏休みは毎年旅行にも行きました。
どう見ても普通のお母さんです。

自分さえもっと普通に生まれていれば、何も問題無かったのです。

ただ納得のいかないもやもやした感情だけが心の中に残っていました。

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