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母親との確執・トラウマ 母親との関係[8]

私は岸田秀さんの本を読んで、
自分の症状が母との関係にあったことに気付きました。
その時、大きな衝撃と共に、母に対する強烈な怒りが私の中に芽生えました。

場面緘黙(かんもく)症、視線恐怖症になった原因を突然知る

「おまえは人を見ると電柱の陰に隠れる子供だった」
「ほんとに内弁慶なんだから」
「何、その死んだような目つきは」

過去に母が私によく言ってたセリフに対して、
「あんただって同じじゃないか!」
と私は叫びたくてたまりませんでした。

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母の視線の動きや、外の人への態度と私への態度との違い。
私に見せた数々の嫌悪溢れる鬼のような表情の意味、
その他様々な母との記憶が蘇り、謎だったことが理解できるようになりました。

 
そして自分の性格がどのように形成されたのか、
ということを考えれば考えるほど、腹が立って仕方ありません。

どうして親なのに子供が嫌がることを言い続けたのか。
親だったら、物を与えるのではなく愛情を与えるべきなのではないか。

このときの私は、
「自分はムチで叩かれ続けながら、3食のご飯を与えられた犬のようだ」
という感覚を持っていました。

肉体的なものではありませんが、精神的な虐待を受けたと考えていました。
学校で全く喋れなかった、という巨大な傷に、
塩を塗られて苦しめられた、と考えていたのです。 fistmark-17021293331845v41私が人と話せなくても、「ごめんね、お母さんもあんたと同じだったんだよ」
と言ってくれ、私の気持ちを理解してくれたなら、
緘黙症でも視線恐怖症でも納得できたのに、という気持ちでした。

さらにこの時点で、母個人から愛された、
という記憶が一つもありませんでした。

どんなに記憶を辿っても、
抱きしめられたとかスキンシップの記憶もありません。

スキンシップというのは、愛情や励まし、
という肯定的な感情が含まれたものだと思いますが、
そういう感情が伝わる行為が全く思い出せないのです。

 
私は、自律神経失調も含め、
よく熱を出したりして学校を休みましたが(仮病も多かったです)、
そういうときはお粥を作ってくれたり、面倒をみてもらいました。

それでも、そういうことに関して、感謝の気持ちが湧いてきません。
それが愛情だとは思えませんでした。

ムチで叩いておいて、傷が深くなったら薬を塗られた、
という感覚になっていました。 

ではなぜお母さん子だったのか

それは私は母から母乳で育てられたので、
そのときの記憶が無意識の底にあるからだと思います。

それは最高のスキンシップだったはずです。
意識的には覚えていませんが、その時は本当に幸せだったと思います。

 
私が無垢な赤ん坊だった頃は、
私に対する嫌悪の感情などは一切なかったはずです。

子育てや周りに対する不安はあったと思いますが、
私はそのとき母からの愛情を目一杯感じていたのだと思います。

 
後述しますが、父との関係はとても希薄なものでした。
また私は父親をとても恐れていました。

この時点では、私の対人恐怖症状はすべて母のせいだと思っていましたが、
実は父との関係にも問題があったことに後から気付きます。

 
この時(読書体験)から私の母に対する感情は、
まさに愛憎入り混じったものとなっていきました。

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