宮崎勤 宅間守 凶悪犯罪者の生い立ちは?彼らは人として失敗作なのか?

荒廃した不気味な建物 犯罪・犯罪者

過去に凶悪犯罪を働いた人達の生い立ちや家庭環境について考えてみたくて「殺人者はいかに誕生したか」という本を読んでみました。

この本には10人の殺人を犯した犯罪者について、著者であり臨床心理士の長谷川博氏が分析・考察したことが記されています。

10人には前回取り上げた加藤智大死刑囚も含まれています。

秋葉原通り魔事件から10年 加藤智大の承認欲求は少年Aと違う?
2008年6月8日に加藤智大(当時25歳、現在死刑囚)の起こした秋葉原通り魔事件から10年の月日が経ちました。 この度、関連書籍を読んでみたので改めて思ったことを書こうと思います。 秋葉原事件の概要 秋葉原事件は当時25歳で派遣社...
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「附属池田小事件」宅間守

宅間守は2001年(当時37歳)に刃物を持って小学校に侵入し、児童8人を殺害し、教師を含めた15人を負傷させた附属池田小事件の犯人です。

幼い頃から問題行動が目立ち、いじめ、動物虐待、暴力、性犯罪などを繰り返し、職を失ったり逮捕されたりもしています。

父親は厳しく暴力で家族を抑えつけるタイプ、母親は家事が苦手で宅間を身ごもった際には「おろしたい」と語るなど両親の子供に対する愛情は非常に乏しかったようです。

大人になってからは父親と激しく喧嘩を繰り返しています。

宮崎勤のほうがマシや

宅間は両親を憎んでおり、長谷川さんが面会した際には「宮崎勤のほうがマシや」と語っています。

なぜかといえば、宮崎(後述)の場合は父親が裁判中に自殺しているからです。
宅間に言わせれば、それは息子の罪に心を痛めている、宮崎を息子として扱っているということになります。

一方宅間の父親は宅間が25歳のときに勘当を言い渡しており、事件を起こした際も、「わしには関係ない」「死刑しかない」などと話しています。

親が悪い

宅間の論理では、物心ついた5歳くらいのときにはもうカッとなって手を出していたわけだから、すでにその時点で育て方が悪い、つまり親に責任がある、ということになります。

英文学者でありタレントとしても活動する田嶋陽子さんは直接宅間に本を渡していますが、その本には「宅間ではなく、親が悪い」と書いてあり、宅間を喜ばせています。

確かに親が悪いと言えますし、不幸な生い立ちであることも事実です。
しかし、罪を犯したのは宅間であり、その為に死刑になってしまうのも彼自身です。

この本の宅間の章を読んだ率直な感想として、親を憎んでいるのに関係無い子供を殺すということが納得できません。それなら親を殺せばいいじゃないか、と思ってしまいます。

親が正しく子供を育てていれば子供に殺されることはありません。
子供に殺されるということは育て方が間違っていたということです。

親が子に愛を与えれば愛が返ってくるし、憎しみを与えれば憎しみが返ってくる、宅間の怒りが無関係の人ではなく親に向いたのなら因果応報で一応納得はできます。

関係ない人を殺した時点で、情状酌量の余地はなくなり、世間から非難されるのは当然のことです。

サイコパスといわれる宅間にも良心はあった!?

裁判でも「あの世で子供をしばいてやる」「幼稚園ならもっと殺せた」などと発言し、反省の色どころか良心のかけらも無いと思われていた宅間ですが、長谷川さんに対してはちょっと違うことを語っています。

「子どもたちには何の罪もない。自分が子どもの立場やったら、無念やったろうなぁ」
「初めて言うけどほんまはな、途中で、もうやったらいかん。やめないかん思って、そやけど勢いがあって止まらんかった。誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっとこれで終われるぅって、ちょっとほっとしたんや」
「本能ちゅうんですかね、良心の呵責ですわ」

このように語れたのは、長谷川さんが宅間の話をしっかり聞き、彼の理解者になれたからでしょう。

また、拘置所の職員に、獄中結婚した奥さんへのメッセージとして「ありがとうって伝えてほしいねん」という最後の言葉を残しています。

「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」宮崎勤

宮崎勤は1988年(当時26歳)から89年にかけて、4~7歳の女児4人を次々と殺害するという連続幼女誘拐殺人事件の犯人です。

殺害した遺骨を被害者宅に送りつけたり、「今田勇子」という名で犯行声明を新聞社に送るなど事件は異常性を伴い世間を震撼させました。

家族との交流が無かった

小屋

両親は共働きで忙しく、幼少期に宮崎の面倒を見ていたの祖父と住み込みで雇った知的障害を持った男性(ウィキペディア)だったとのことです。

家族の会話は無く、両親から疎まれていると感じた宮崎は、次第に離れのプレハブ小屋にこもって過ごすようになります。

ここにビデオやマンガを膨大に溜めこみ、それらに囲まれて暮らしていたため「オタク=異常者」という図式が当時世間に広まってしまったほどです。

しかしビデオ等は集めただけでほとんど見てはいなかったとのことです。

おじいさんだけが愛情を注いてくれた

長谷川さんが実施した言語連想検査によると、肯定的な連想が得られるものはほとんどが「おじいさん」に関連する事柄でした。

両親に対する反応は「本当の両親と暮らしたい」とか、父親という言葉に対して「にせもの」と答えるなど、実の親を自分の親と認めていない心理がうかがえます。

プレハブに引きこもるようになったのもおじいさんの死後らしいので、唯一の愛情源を失って心を閉ざしたようにみえます。

また先天性の手の障害があり、両手首が回せませんでしたが、治療を受けさせてもらえませんでした。

そのコンプレックスや家庭環境などから精神を病み、解離性健忘、あるいは解離性同一障害に陥っていた可能性があると長谷川さんは考えています。

宮崎の生い立ちも愛情に乏しく、犯した罪のことを別にすれば、可哀想な人生だったと思います。

「自殺サイト連続殺人事件」前上博

前上博は2005年(当時36歳)自殺志願者が集まるサイトで心中話をもちかけ、中学生~大学生の若者を次々と窒息死させた「大阪自殺サイト連続殺人事件」の犯人です。

前上は呼吸ができずに苦しんでいる姿を見ることで性的興奮を覚えるという異常性癖の持ち主でした。

この事件の前にも、首を絞めたり、口を塞いだりといった暴行事件で逮捕歴があります。

また白いソックスなど物に興奮するフェティシズムの傾向もみられます。

前川自身が父親に窒息させられてた

前川の父親は警察の白バイ隊員でした。

小学校4年のときに父親は前川を仰向けに倒すとその上に乗り、両肩を抑えて体重をお腹にかけました。

息ができず、死ぬのではないかと思いながら父親の能面のような顔が忘れられなかったといいます。

そのようなことが3回程ありました。

長谷川さんは父親のこの行動は、意図的に行われたものではなく、父に解離が生じていたとみています。

(解離とはある行動に対して自分の精神活動から切り離してしまう心理現象のことで、そのときの記憶がなかったり、別の人がやったような感覚になります。)

その少し前に前川は江戸川乱歩の小説に書かれていた麻酔を嗅がされて失神するシーンに関心を抱いており、父親の行為と小説が結びついたことで性的興奮を覚えるようになったのではないかと長谷川さんは推測しています。

前上博はアスペルガー症候群だった

アスペルガー症候群とは発達障害の一種ですが、前上自身そのことに気づいていませんでした。

アスペルガー症候群の大きな特徴として、相手の感情を読んだり自分の感情を伝えることが苦手で、行間が読めなかったり、空気が読めない傾向があります。

何でも言葉通りに受け取ってしまうため冗談が通じずそれにより疎外感を味わったりすることもあります。

また、もう一つの特徴として、あることに関心を持つとそれに熱中し強いこだわりを示すということがあります。

その関心やこだわりが社会的に評価されることならよいですが、そうでない場合は人に迷惑をかけることになりかねません。

長谷川さんからアスペルガー症候群の説明を受け、前上はまさに自分のことだと感銘を受けたような反応をしています。

アスペルガー症候群ということはもちろん親も知りません。
そのため、前上のちょっと変わった行動に対して母親は躾として厳しく折檻したりしています。

父親に対する幻滅

前上は白バイ隊員として働く父親と遊んだり話したりすることはなかったものの、父を尊敬しおり、父による窒息行為があった後もそれは変わりませんでした。

しかし、あるとき父は飲酒運転で事故を起こし、部下にもみ消してもらったことを知ります。

父に対する尊敬の念が失われると共に、5年生になった前上は下校途中の低学年の女の子の口を塞いで泣かせるという最初の事件を起こします。

以降、頻繁にこの類の事件を起こすことになるのです。

犯罪を防ぐ難しさ

前川の場合、自身がアスペルガー症候群だったという認識が本人も周囲も分かっていなかったということと、父親との関係が結びつき、特異な性癖が生まれてしまいました。

本人もこの欲望を抑えなくてはいけないという気持ちを持っていながら、スイッチが入ってしまうとコントロール不能になってしまっています。

父親にも異常な部分はありますが、前上の人格形成の責任をこの父親一人のせいにはできない感じがします。

このようなケースを見てしまうと、犯罪が生まれる芽を摘むということは本当に難しいことだとは思います。

しかし死者が出る前に同じような事件を繰り返していることを考えると、長谷川さんのような専門家による早期の徹底した治療なり対策を講ずることができたのではないかという疑問も持ってしまいます。

「秋田連続児童殺人事件」畠山鈴香

暗い女性

畠山鈴香は2006年(当時33歳)に自分の娘を含む児童2人を殺害した「秋田児童連続殺害事件」の犯人です。

事件は当初、畠山の娘である彩香ちゃん(当時9歳)が行方不明となり、畠山自身が警察に通報します。

その後、死体が発見され事故死と認定されますが、畠山は事故では無いとして、警察に再捜査を依頼しチラシを作って配ったりしています。

自分が殺したのなら、事故と認定されたところで、何もしなければ事件が発覚しなかったかもしれないのに不可解な行動です。

幼少期に父親から暴力を受けていた

父親は会社を経営し社会的には成功していましたが、自身がED(性的不能)になったのを機に娘に暴力を振るうようになります。

最初は母親がかばっていましたが、そうすると余計に激昂するので母親も見て見ぬふりをするようになってしまいます。母親も棒で叩かれ鼻の骨を折るなどしています。

家族での食事の際には父親を怒らせないように神経を集中させていました。
食べ物の味も分からないような食事です。

このことが原因で、畠山は学校で給食が食べられなくなってしまいます。
4年生の担任は給食指導に熱心で、畠山が食べないのを見て、両手を出させ、その上に直接食べ物を入れ「全部食べなさい」と言いましたが、それでも彼女は食べられません。

壮絶ないじめ

それを見た男子生徒は犬みたいだと笑い、「汚い」「バイ菌」と言っていじめました。

いじめられても反発できず、黙って耐えるしかありません。
いじめはそれ以前からあり、その後も続きます。

高校の卒業文集には寄せ書きに「いじめられた分強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」「もう二度と秋田の地に帰ってくるな」などのひどいコメントが並んでいます。

長谷川さんも指摘していますが、高校がこんな文集を作るということが信じられません。

この高校は間接的に殺人に加担していると私は思います。

精神を病んでいた

家庭で暴力を受け、学校ではいじめられ、やがて精神科で薬を処方されるようになります。

彩香ちゃんが9歳になる頃には、薬の量はかなり増えていました。

さらにその前年には父親が脳梗塞で倒れ、パートの仕事をしていた母親に代わり、父親の看病もしています。

自分を虐待した父の面倒を看るということも多大なストレスだったと長谷川さんは推測しています。

解離

家庭内暴力と学校のいじめ、このような多大なストレスに直面すれば精神に多大な負担がかかってしまいます。

そこで心は防衛反応として解離を起こします。
解離とは自分に起きていることがまるで映像のように感じたり、そのときの記憶を無くしたりといった一種の逃避的な反応です。

事件後も彩香ちゃんが本当はどうなったのかという記憶が無くなり、供述が二転三転したり、質問に答えられなかったりといった反応が頻繁にみられます。

特に質問に追い詰められていると感じたり、緊張状態のときは頭が真っ白になる傾向があるようです。

事件を起こしたときは、精神科で処方された薬を大量に飲んでいたようなので、その影響で朦朧としているうちに殺してしまったのかもしれません。
殺意があったのかどうかもよく分かりません。

ただし、もう一人の犠牲者であるK君に対しては殺意があったようです。

子供を育てるのは一人では無理だった

畠山の生い立ちを考慮すれば、一人で子育てするのはほとんど無理だったのではないかと私は思います。

本来は親や親戚が一緒に面倒をみるとか、それが無理なら第三者が介入するべきではないでしょうか。

生い立ちで愛情が極端に不足している場合、自分の子を虐待したり、愛情を持って育てることができないという問題は高確率で起こります。

まとめ

犯罪者の生い立ちにスポットを当てて考えてみると、犯した罪は残虐で同情できないのは当然としても、自分が同じような環境で育っていたらと考えると複雑な気持ちになります。

ほとんどが親からの愛情不足や何らかのネガティブ要素が渦巻く中で育っているので、誰かの助けがなければ犯罪を犯しても仕方ないとも言えます。

ではこのような問題を無くすためにどうしたらいいのかと考えた場合、正直答えが見つかりません。

犯罪者を育てた親が悪いとすれば、さらにその親を育てた親も悪いということになってしまいます。
ではその家系は悪の家系なのかといえば決してそんなことはありません。

現状、人の持つ意識構造ではこのような問題を無くすことは不可能ではないかと思います。

ただ細かい点では改善できる点も沢山あります。
例えば畠山に給食の指導をした先生は児童心理というものをもっと勉強しておく必要がありますし、高校の卒業文集をあのような形で制作した学校は反省する必要があります。

私達はマスコミの報道などで表面的な部分で判断してしまいがちですが、闇雲に非難する前に、その背景も含めて考えなくてはいけないと今回本を読んで思いました。