私が場面緘黙症になった原因は親の性格に問題があった!

子供に無関心な親 場面緘黙症

私は学生時代、場面緘黙症という病気で学校で普通に話すことができませんでした。

なぜ学校へ行くと話すことができないのか、その原因は大人になるまで全く分かりませんでした。

理由が分かったのは25歳を過ぎてからのことです。

元場面緘黙症者のブログ 喋らない・笑わない子供!
ブログをリニューアルしました。 私は幼少の頃から高校を卒業するまで場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)という心の病気にかかっていました。選択性緘黙性ともいわれるものです。 子供の頃にはそんな病名は無かったので、ネットでこの言葉を発...
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情緒障害と発達障害

まず場面緘黙症は情緒障害に分類されます。

自閉症も以前は情緒障害に分類されていたそうですが、今は発達障害の一種となっています。

発達障害には自閉症の他にADHD(注意欠陥多動性障害)やLD(学習障害)があります。

発達障害が脳の器質的問題であるのに対して、情緒障害は記憶の問題です。

先天的な問題とされる発達障害に対して、情緒障害は後天的な問題で起こるとも言えるでしょう。(発達障害が完全に先天的な問題と断定することはできないと思いますが)

そういう意味では情緒障害はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に近いのかもしれません。

情緒障害の代表的な病気は場面緘黙症であり、他には登校拒否児などが該当する場合があります。

場面緘黙症の原因 私の場合

26~27歳頃、会社務めをしていた私は通勤途中に本を読んでいました。

そのとき読んだのは精神分析学者の岸田秀さんという方が書いた「ものぐさ精神分析」という本です。

最後の章に著者が、自分が精神分析という学問をやることになった経緯を書いた「わたしの原点」という章を読んだときに、私はカミナリに打たれたようなショックを受けました。

著者は幼少の頃から強迫神経症に悩まされていたのですが、精神分析を研究する過程で、その原因が最愛の母との関係にあったことに気づきます。

私は読む内に、次々と過去の母親との様々な場面が、あたかもフラッシュバックされたかのように思い出され、なぜ自分が場面緘黙症になったのか(当時はこの言葉は知りませんでしたが)なぜ自分は視線恐怖症だったのかを、たった数ページのその文章を読んで、理解することができたのでした。

この本の内容そのものよりも、岸田氏と母親との関係性が、私に共通するものがあり、親子関係によって作られる性格形成の過程が分かったということです。

「共通する」といっても、症状は全く異なりますし、性格も全然違います。
母親はすべて正しく自分がおかしい、と思い込んでいたことが、実は全然違っていた、というところが共通点です。

場面緘黙症になる原因は人それぞれ異なります。

本を読んだときは母親だけの原因だと思っていましたが、後から考えれば、両親共に問題がありました。

私は第一子だったので、親の影響はとても大きくダイレクトに性格に関わります。

母親について

母親が場面緘黙症的な性格ということは25歳を過ぎるまで分かりませんでした。

子供は親の性格について考えるということはあまりないと思いますし、よく分からないと思います。

子供の私から見れば、母親は普通に近所の人や公共の場で会話しているように見えます。

しかし、本を読んで、母親の性格というのを初めてちゃんと考えてみました。

・極度に人目を気にする
・私の性格や表情を異常に気にする
・家の中と外ではっきり態度が変わる
(外ではオドオドし、内では自己中心的)
・子供の欠点は必ず指摘する
・家ではすぐに怒ってヒステリーのようになる
・家族以外の他人に対してはっきり自分の意見を言うことはない
・私と他人を比較してダメ出しする
細かく挙げればキリがありませんが、大体このような特徴があります。

私は人見知りの激しい子供でしたが、小学生くらいの頃、母親から「おまえは人に会うと電柱に隠れるような子供だった」と、ことあるごとに言われました。

2~3歳くらいの頃のことを言ってるようですが、そんなことは覚えていないし、言われても嫌な気持ちになるだけでどうすることもできません。

家族との外出などで私がはしゃいでいると、「すぐ調子に乗るんだから」と水を差すようなことを言います。

テレビを見ていると、家族の表情をチラチラ盗み見るように観察し、父が笑っていると「お父さん嬉しそうに」などと言います。

私の表情も見られているのは分かるので、自然と母親に何か言われないように、無表情でいることを心がけるようになってしまいました。

私が思春期の頃は、学校に行くのが嫌だった上に母親には笑顔を見せないようにしていたので、朝起きて顔を合わせると、「おまえは目つきが悪い」とよく言われ、ますます気分が悪くなったものでした。

母親は私の性格的な欠点を散々指摘しましたが、結局それは自分自身の欠点でありコンプレックスだったのです。

母をコピーし性格がこんがらがった

ずっと後になって母に確認したのですが、母も子供時代は人とまともに話せなかったそうです。

緘黙(かんもく)の状態まで行っていたかどうかはよく分かりませんが、とにかく学校では大人しかったようです。

そのことをずっと私に言わないどころか、自分は明るくて誰とでも仲良くできるという風に振舞っていました。

母の持っているセルフイメージというのは、誰とでも仲良くする明るい人、だったと思います。

そういう人になりたい、そういう人であろう、と考え、そう振舞おうとしていたと思います。

生まれたばかりの赤ん坊の私は無色です。
無色のままなら母に傷つけられることはなかったでしょう。

私が無色のときは母親に愛されていたと思います。
ですから、私は「お母さん子」になったのです。

しかし私は母の無意識をコピーして育ちます。
次第に私に性格というものが備わり、人見知りをする私を見て、母は抑圧していた見たくない自分の影を私に見ることになります。

私の記憶に強く焼き付いている母の鬼のような表情は、母が消したくてたまらない母自身の過去の姿を、私の中に見たときの感情が表に現れたものです。

生活が家族や近所なら、人見知りの激しい子供ですんでいましたが、幼稚園という社会に馴染めない私を見て、母は最も見たくない自分を私に見たのでしょう。

場面緘黙症の子供 幼稚園時代

鬼のような表情は嫌悪感そのものだったと思います。
ただ私はそれを認めたくありませんでした、母に嫌われているなど、絶対に認められません。
私はずっと母親が大好きなお母さん子だったのです。

私が何かを恥ずかしいと思っていると、母は、「恥ずかしいの?」とバカにするような口調で反応したり、「すぐ恥ずかしいって思うんだから」と呆れたりします。

私は、恥ずかしいとすぐ思ってしまう自分は恥ずかしい存在だ、
と無意識的に思っていました。
このことが決定的に自我の形成を阻害したと思います。

私が母に分かってもらいたくて、うまく学校で話せないことをポロっと言うと、母は、「あんたは、すぐそうなんだから」と呆れたように言い、「友達に会ったら、よおっ、おはよう!と元気に言えばいいの」などとアドバイスします。

私はそんなことができたら苦労しません。
母親は過去に自分が出来なかったことを言っているので、現実味がないアドバイスなのです。
それは母が過去にそういう風にしたかったことです。

私は矛盾を感じて物凄く不愉快になり、それ以上何も言いません。
そういうことは何度かあったと思います。

本当はもっと気遣って労わって(いたわって)欲しかったのです。
しかしそういうことは一切ありませんでした。

子供は納得できない感情を言葉にできない

私の無意識は母の矛盾を感じているのですが、子供の私はそれを顕在意識(表面意識)に上げることができません。

母が言ってることはどこにも間違いはないのです。
元気に挨拶すればいいのです。

顕在意識で理解するということは、言語化できるということです。
言葉にできて初めて説明することができるわけですが、子供の私は納得できないもやもやした感情として、そのストレスを内側に溜めるだけでした。

以上のような経験から、私が学校で喋れないことを、母に話題にされるのが凄く嫌でした。
その話題になるのをなるべく避けようとしていました。

母も自分の過去を思い出したくないので、わざわざ言いませんが、先生に心配されたりすると、「ほんとにこの子は臆病だから」などと言い、私を不愉快にさせるのでした。

身内や弱いものには言いたいことを言う母

困ったことに母は、周りには気を遣って意見を言えないが、身内や子供など気を遣わなくてもいい人には無神経に人の欠点を指摘してしまいます。

私に対してもそうですが、私の近所の友達に「あんたは足が短いんだから」と言い放ち、友達が凄く嫌な顔をしたことがあります。

彼は自分でも身長や体型を気にしていのです
その一言でその友達は私の母を嫌いになったでしょう。

なぜ、あんなことを言ったのか、と後で母を問い詰めても、「いいんだよ、本当のことなんだから」と言うだけで、子供にも心があるということが分からないかのようでした。

父親について

父親は寡黙でマイペースです。
子供には関わろうとしていませんでした。

物心ついた頃には、父親はとても怖い存在であり、私は話しかけることができませんでした。

私は「お母さん子」であり、父を恐れていました。
会話は母親とだけし、父との会話はほとんどありませんでした。

母親は子供がイタズラや悪さをすると、「お父さんに言いつけるよ」と脅し、実際、怒るのは父親の役目という感じです。

父自身は裏表の無い性格で他人に無頓着です。

私が学校で話すことができないということも知らなかったと思います。

父は会社員でしたが、内側に大きな怒りを抱えており、そのエネルギーを政治活動に費やしていました。

怒りを原動力に政治活動をしていましたが、それが子供にぶつけられるときもあります。

DVのようなことはありませんが、私が何か悪さをしたとき、凄い形相で棒を持って追いかけられたことがあります。

残念ながら子供時代に父から愛情を感じたことはありません。

親からの影響

小さな子供にとって親は絶対的な存在であり神のようなものです。

場面緘黙症という病気の原因は、必ずしも親にあるわけではありませんが、私の場合は完全に親が原因です。

母親が持っていた内と外で態度が変わるという性質をコピーし、母の持つ他人への恐怖心と私自身の父への恐怖心が合わさって場面緘黙症や対人恐怖症になったと考えています。

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