元場面緘黙症者のブログ 喋らない・笑わない子供!

地面に座り込む子供 場面緘黙症

ブログをリニューアルしました。

私は幼少の頃から高校を卒業するまで場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)という心の病気にかかっていました。選択性緘黙性ともいわれるものです。

子供の頃にはそんな病名は無かったので、ネットでこの言葉を発見し症状を確認すると、まさに過去の自分と全く同じ症状で、とてもビックリしました。

まさか過去の自分の状態に、こんなにはっきりと病名がつくなどとは思ってもいなかったのです。

それまでは、「対人恐怖症による極度に臆病な性格」という感じで過去の自分を定義していました。

性格ではなく、緘黙症という病気だった、という大義名分ができて嬉しい気持ちと、病名が付いた今の時代に生まれていればもう少し楽だったかもしれない、と、ちょっと悔しい気持ちも混ざった複雑な気分でした。

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場面緘黙症とは

「場面緘黙症(選択性緘黙性)」というのは、ある場面で自分から必要最小限の事以外、話すことができない症状のことを指します。

感情表現も制限されます。
その「場面」では、笑うこともできません。

我慢できずに泣くことはありますが、声を上げることはせず、ただ涙がこぼれてきます。

「怒り」の感情も表現できません。

極度に恥ずかしくて話せないのは人見知りと同じですが、人見知りの人が最初は話せなくても、相手や環境に慣れていけば次第に話せるようになるのに対して、緘黙症は、その場面(環境)が続く限り、いつまでたっても自分から話すことができないという違いがあります。

「必要最小限の事」というのは、言わなければいけない用件などです。

例えば、廊下で先生に会い、「A君に職員室に来るよう言ってきて」と頼まれれば、A君の所へ行って「先生が職員室に来るよう言ってたよ」と話しかけることはできました。
(私の場合はです。他の緘黙症の方は違うかもしれません)

自分が話せることは、先生やクラスメイトから何か質問されたときと、誰かから頼まれたことを言わなくてはならないとき。

つまり、やるべきことがはっきりしているときは喋れます。

あとは気分が悪い、お腹が痛いなどの緊急事態を先生に報告することはできました。
(ギリギリまで我慢しますが)

その際も手を挙げて発言することはできず、先生の所へ歩み寄って小声で伝えるという感じです。

ずっと出来なかったことは、冗談などのコミュニケーション、友達と仲良くする為の雑談等です。

特に集団の中にいると喋れず、身動きも取れないような感じになってしまいます。

この病気の発症頻度もよく分かっておらず、サイトやテレビでも色々な数字が挙げられていますが、0.08~0.7%と発症率が低いのは確かです。

学校に1人いるかいないかくらいの割合しかいないそうです。

場面緘黙症の「場面」の意味

「場面」というのは私の場合、学校のクラスや塾、アルバイト先など、公的、あるいは社会的な場所であり、これらの場所では自分から用件以外を話すことができません。

一方、私的な場所である家庭、親戚の集まり、近所の友達同士の集まり、家族や親戚・友人との旅行先等では、普通に雑談やくだらない冗談も話すことができます。

公的な場所と私的な場所に完全に線が引かれていた状態でした。

そして何故そうなってしまうのか自分では全く分からず、その問題についていくら考えても、極度に臆病な性格に生まれた自分が悪い、という結論になってしまい、ただただ気が滅入るだけだったので、なるべく考えないようにしていました。

そのため、現実逃避しようとする傾向がとても強い子供だったと思います。

場面緘黙症の子供 学校生活

場面緘黙症というのは性格の種類と言うこともできますが、なぜ病気に分類されるようになったかといえば、社会生活が困難になるからです。

私にとって学校はほとんど楽しい思い出はありません。
異常な子供として過ごした期間は自分のことながら憐れだったとしか思えません。

幼稚園時代

私にとって最初の社会は幼稚園でした。

幼稚園に行くのが嫌で、何度も家に帰ってきてしまうことがありましたが、そんなとき母親は鬼のような形相で鍵を閉め、「幼稚園に行きなさい」と怒ります。

それでも私が外で泣いたり、開けてと叫べば、母親は人目を気にして鍵を開けます。

そんなやり取りが何度かあったのを覚えています。

幼稚園でどういう風に過ごしていたのかはあまり覚えていません。

仲のいい友達がいてよく遊んでいたことは覚えているので、多分、その子とばかり遊んで、他の子たちとは喋ったりしなかったのだと思います。

小学校時代

小学生になると仲のいい友達以外とは全く話をしませんでした。

最初の頃数人いた話せる友達が卒業の頃にはほとんどいなくなりました。

学校に行くのが嫌で、仮病を使ってよく休みましたが、3、4年生くらいのとき原因不明の腹痛に何度も悩まされ、病院に行くと自律神経失調症と診断されました。

私にとって学校のクラスという場は監獄のようなもので、何もできずただひたすら学校が終わるのを待つ毎日でした。

それでも小学生時代は休み時間は遊びの輪に入れてもらえたので、話はしなくてもボール遊びをしたりトランプをしたりしていました。

たまに先生や他の生徒の話が面白くて笑ったりすると、「あ、笑ってる」と他の生徒に注目されるので、極力、笑顔を作らないようにしていました。

中学校時代

自意識が強くなると共に、場面緘黙症の症状も強くなり、中学時代は学校で雑談をするということはほとんどありませんでした。

唯一、近所の友達で話せる子がいましたが、二人きりのときしか話はしませんでした。

勉強も好きではありませんでした。
一見大人しく真面目に授業を聞いているようでしたが、実際は上の空で空想ばかりしていました。

そんなわけで、成績も大きく落ちましたが、早く学校が終わって家で遊ぶことばかり考えていました。

高校時代

高校は家から1時間近くかかる私立の学校に入りました。
小中学校の知り合いは誰もいなかったので、新しい環境で喋れるようになりたいと思っていたものの、全くダメでした。

自分から人に話しかけることが、どう考えても全くできません。

みるみるうちに、周りは友達を作り、いくつかのグループができていきますが、私は何もできず一人ポツンとする毎日です。

気を使って話しかけてくる子もいますが、質問に答えるだけで会話に発展していかないので、一人取り残されていきます。

3年間、休み時間はただ座っているだけ、席を立つのはトイレに行くときだけです。

授業を受けて、休み時間は何もせず座り続け、昼休みに持ってきた弁当を食べ、授業が終わったら帰る、ということを繰り返して3年間が過ぎて行きました。

もらった卒業アルバムを見てみると、暗い顔をした無表情の自分が隅にポツンと写っているばかりで、見ていて耐えられず、もらったその日にゴミ捨て場に捨ててしまいました。

どのように場面緘黙症を克服したのか

高校卒業後、大学へ進学しましたが、私にとって「クラス」が無くなったことが大きく心の負担を軽くしてくれました。

高校までのクラスにはいつも同じ顔ぶれがあり、私は集団の中で疎外された(自分でそうしたのですが)存在として過ごさなければなりませんでした。

しかし、大学の場合、授業単位で顔ぶれは変わり、集団意識が薄れます。

学校ではサークス活動などもしなかったので、人付き合いはほとんどありませんでしたが、高校までのように席でじっと固まって過ごすということから解放はされました。

アルバイトで社会を学ぶ

場面緘黙症は放っておいて治るものではありません。

コミュニケーションの仕方をどこかで学ぶ必要があります。

私の場合は大学時代のアルバイトでした。

実家に住んでいたので、特にお金が必要というわけではありませんでしたが、社会に出るためにバイトで経験を積もうと考えました。

夏休みに最初にやった清掃のバイトではやはりうまく皆と会話することができませんでした。

ロッカールームでは一人で黙っていましたが、よく話しかけてくれる人がいて、その人と会話するようになりました、

このようにバイトを変えながら、少しずつコミュニケーションができるようになっていきました。

場面緘黙症はコミュニケーションが取れず社会生活が困難になる病気です。

会社に勤めていて、電話に出られないとか、上司に報告すべきことが言えない、というのではやはり病的な状態といえますが、緘黙症でなくても、会話や雑談が苦手という人は沢山います。

最低限、業務をこなして会社に迷惑がかからないレベルのコミュニケーションができれば、一応治ったといって良いでしょう。

学生なら、休み時間などにクラスで自分から話しかけ何気ない会話ができれば、緘黙症は治ったと判断できると思います。

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